2014年1月23日木曜日

ベンガルールの「播磨」で日本食を喰う

バンガロールの日本食レストラン「播磨」
ベンガルールへ到着したこの日、晩飯をどこにするか迷っていた。選択肢は二つ。泊まっているホテル「エンパイア」の1階にあるレストランと、日本食が食べられることで有名な「播磨」。タンドリーチキンが旨そうな1階のレストランも捨てがたかったものの、結局は日本食の誘惑に負けて播磨へ行くことに。

カボンロードからチャーチストリートまで歩き、さらにブリゲードロードを南へ下る。このMGロードから南の一帯には、欧米スタイルのショップやレストランが軒を連ねていた。道を歩く女性たちの多くがジーンズにTシャツ姿で、サリーを着ている人は少ない。堂々と道端でタバコをふかす若い女性や、グループで騒ぐ20代の集団がいたりと、インドにしては珍しい光景が目に入ってくる。途中カリアッパロード(Cariappa Road)を右へ曲がって進み、10分ほど歩いたところで播磨に着いた。

播磨が入居しているのはテナントビル「Devatha Plaza」の4階。店の看板はどこにも出ていない。店内はインドには場違いな空間。そこが日本だと言われても違和感ない。客層は7割ほどが日本人ビジネスマンで、接待用の座敷も用意してあった。会食で訪れている彼らを横目すると肩身の狭さも感じてしまう。どうやらたかだか3か月くらいの放浪だと、こちらからは社会との繋がりを断ち切れないらしい。
バンガロールの日本食レストラン「播磨」の店内

この日オーダーしたのは冷奴、たこ唐揚げ、おでん、焼き鳥、それにビール。どれも本物の日本の味で、旨いとしか言いようがない。スタッフはインド人が多いが、日本人シェフによる寿司も楽しめるとある。日本人フロアスタッフもいて、丁寧にもてなしてくれたのが印象的だった。
バンガロールの播磨で食べるタコ唐揚げ

ところで、播磨ではキングフィッシャービールがメニューになくて、代わりにオーストラリアビールのFoster'sがオススメされていた(2012年11月当時)。最後に、この定番ビールが用意されていない理由を記した播磨の店内新聞を引用させてもらう。心からの同情と共に...。
オープナーで開ける際に瓶が欠ける。ガスがない。こんな事は初歩的トラブル。レベルUPすると、毎回、酒屋から来る"ちゃんとテープが貼ってある"ダンボールを開けると、割れて中身が入ってない瓶が、必ず1ケースあります。しかしダンボールは濡れてない。(中略)瓶を詰めるスタッフが1本飲んだ後、証拠隠滅で割って、詰めてるかも・・・(中略)・・・これを会社にクレームすると「買わんかったらええやん、そんなん」との返答(以下略)

2014年1月22日水曜日

いたって普通なベンガルール到着

バンガロールのブリゲードロード
ベンガルール(バンガロール)の中央駅はバンガロール・シティジャンクション駅。もうひとつ大きな駅としてカントンメント駅もあるが、シャターブディー急行が到着したのはシティジャンクション駅だった。さすがカルナータカの州都だけあって、ムンバイやチェンナイにも引けを取らない混み具合。ここまで僕を運んでくれたシャターブディーを見送ったあと、バックパックの紐をしっかり締めてから出口へ向かった。

インドの主要な駅を降りると、もれなくリクシャーワーラーから声が飛んでくる。それだけならまだいいが、中には"それ以外"の目的をもって近づいてくる輩もいて気が抜けない。アーグラで停車する列車などでは、観光客を捕まえようとする男たちが、まだ停車していない列車へ我先に飛び乗ってくる始末。ともかく獲物だと思われないように、出だしが肝心なのだ。この日の宿はチャーチストリートからブリゲードロード周辺の繁華街を歩いて探すことにしていた。事前の情報だとベンガルールのリクシャーがメーター料金で走る!ということを聞いていたので、とりあえずリクシャーでチャーチストリートを目指す。時間は16時過ぎ。駅前のバスターミナルでバスを探している時間はない。

駅前にはリクシャーへと誘導する係員がいた。彼にチャーチストリートまでと告げると、即座に「50ルピーでどうだ」と返ってくる。しかし「メータル!メータル!」と連呼しながら、メーター料金のリクシャーを見つけてもらって乗り込んだ。チャーチストリートへ着くと料金は50ルピーだった。意外と高い。そして係員の兄ちゃんがまともな料金を提示していたことにも驚く。
オートリクシャーのメーター

チャーチストリートからブリゲードロードへ歩きながら今晩の宿を探すものの、お手頃な宿が全く見つからない。エンパイアというホテルが良い感じだったので入ると、一泊1000ルピー以上も提示される。さすがに無理ということで、系列の安いホテルを紹介された。そちらは地球の歩き方にも載っているホテル・エンパイア。と、ここでも「ホテルまでは遠くて歩けないからリクシャーを使え」と言われる。遣り口がマイソールと完全一致だから丁重にお断りして、自分で歩くことにする。彼らの言う「遠くて歩けない」は「近くて歩けるよ」の意味。「安いよ~」は「高いよ~」。だんだん分かってきた。

インド人に道を尋ねながら歩いていたら、しかしブリゲードロードを南へ下ってしまう。そこでやっと親切なガードマンから道を教えて貰って、カボンロードにあるホテル・エンパイアインターナショナル(Hotel Empire International)へチェックインできたのは17時半。仰々しい名前だったものの、一泊700ルピーもするだけあって、さすがに部屋は良い。ホットシャワーも出る。ホテルの1階がレストランになっていて、吊るされたローストチキンが食欲をうながす。匂いに釣られて、即座に3泊することを決めた。

2014年1月21日火曜日

シャターブディー急行に乗ってベンガルールへ

マイソール駅の西口(裏口)
宿からマイソールジャンクション駅へ歩きながら、僕は二度と訪れることはない景色を目に焼き付けていた。

マイソールジャンクション駅は綺麗に整備されていた。インドにしては珍しく駅舎が汚くない。と、マイペースに道路を横断していたら、突然バックパックが引っ張られて、身体ごと吹き飛ばされる。何かを考えるまえに、インド人の喚きが耳に入ってきた。どうやら脇見運転のリクシャーが僕のバックパックにぶつかったようだ。カメラの被害が気になりはしたが、幸いにもケガはない。そしてこちらが何かを言うまえに、ぶつけたオヤジのほうが既にキレていた。色んな意味で頭が混乱して、出てきた言葉は「なんでやねん...」。周囲がざわめく前に、ビビりな僕は駅へと立ち去る。

マイソールジャンクション駅のホームには、既にチェンナイ行のシャタブディ(近距離特急:シャターブディー急行)を待つ人でいっぱいだった。ここでは数人の日本人ビジネスマンも見かけた。いつにもまして彼らが眩しく見える。緩い弧を描くプラットフォームは、明るい陽射しの下で開放感にあふれていた。出発まで1時間ほどの時間を潰すものは何もない。旅のはじめに持ってきた本も既に無くなっていた。しばらくすると、チェンナイ方面からシャタブディが入線してきた。
マイソール駅に入線したシャターブディーエクスプレス

シャタブディは全席指定の特急で、1車両あたり78席の座席があった。普通車は一列あたり5つの座席で、各車両の先頭と最後尾が4席ずつになっている。窓側にはコンセントも付いていた。乗客全員にミネラルウォーターと菓子のサービスあり、これが確か食事時の乗車だと飯もつく。以前アーグラ(Agra)からデリーへ向かうシャタブディに乗ったときは、それが夜だったこともあってチキンカレーを食うことができた。ただそのときはファースト車両(FirstAC)に乗っていたので、もしかしたらファースト車両に限定したサービスなのかもしれない。

チェンナイ行のシャタブディは満席だったが、車両が新しいうえに適度なエアコンも効いていて文句ない。でもゴキブリはいた。これまで、この害虫を見かけなかったのは、コルカタからニューデリー間を新車両で運行していたドゥロント急行だけだった。インドご自慢のラージダーニ=エクスプレスもシャタブディも、奴らにしてみれば快適な住み家でしかない。この日、ちょうど僕の隣に座っていた小学校9年度生という男の子は、窓枠に現れたゴキブリを手で叩きつぶしていた。なんの躊躇いもない一連の動作を理解するのに、5秒くらい脳が止まっていたことを覚えている。

マイソールからベンガルールまでの2時間は、その彼から英語を教わりながら楽しく過ごすことができた。
チェンナイとマイソールを結ぶシャターブディー急行

マイソールの食事、インドのミネストローネ

マイソールにあるParklaneHotelのベジタブルスパゲッティ
マイソール宮殿のライトアップを見てからParklaneHotelのレストランで一杯やった翌朝、旅の充実を感じながら目が覚めた。マイソールを半ばヤケクソで訪れておきながら、終わりが良ければ何も問題なんてない。

シーツに包まれながら日記を書いていたら、フロントから電話があった。チェックアウトの時間だと言っている。現在10時で、フロントには12時チェックアウトと書いてあった記憶があるが、とりあえず急いで部屋を出る。すると12時チェックアウトという表示の下に、小さく「12時以降にチェックインした客だけ」と書いてあった。延泊料金を取られないかビクビクしながらチェックアウトする。それから、せっかくだからマイソールの中心部を色々と歩いてみるも、目を引きつけるようなイベントには出くわさない。小一時間ほどの散策から戻ると、昨晩と同じくParklaneHotelのレストランで昼食をとることにした。そして店に入るとベジタブルスパゲッティとミネストローネを注文する。

インドのスパゲッティは、なぜ茹で過ぎるのだろう。どうして不味い料理を敢えて作るのか。インドでは場所を変えてはチャレンジしてきたスパゲッティだが、どの土地へ行ってもハズレなく不味い。断っておくが、インドの本屋には本格的なレシピ本が置いてある。レシピ通りに作れば間違うはずはないのに、それでも間違うというところがインドなのだ。

そしてミネストローネにはマカロニの破片とスパゲッティが入っていた。昨晩と変わらず味つけはケチャップだったが、これは見方を変えると旨いかもしれない。厳密にはミネストローネではないが、ケチャップスープとしたら出来は上々だ。なにより疲れた体にはトマトと塩分が染みわたっていくのが分かる。トマト系のスープといえば、マハーバリプラムのレストランMoonrakersで出てきたトマトスープが本当にトマトを潰して調理されていたくらいで、ムンバイではレトルトだったし、列車内で提供されるトマトスープにいたっては粉末にお湯を加えるものだった。

このParklaneHotelのレストランでは、テーブル会計のあと、お釣りが装飾をほどこした金属の箱に入って戻されてくる。旅行者のなかには釣りをチップとして放置したまま席を立つ人たちもいたが、あいにく僕は釣りを無駄にできるほどの金持ちじゃない。店員が遠目で釣りの入った箱を下げるタイミングを計っていたので、僕は仰々しい箱から20ルピーを奪い取ると、静かに席をたった。
マイソール、ParklaneHotelのレストラン

レストランを出ると、すぐにリクシャーワーラーからお声がかかる。どこかへ寄る元気もなかったし、ビデオカメラを回しながら歩き始めると、一人のオヤジが「マリファナ!マリファナ!」と囁きながらついて来た。はたして「マリファナいらない?」の誘いに乗っかる旅行者なんて実在するんだろうか。インドに行って、知らないオヤジについて行って、しかもマリファナを吸うだなんて、一直線にバッドエンドな自信がある。次にオヤジは方法を変えて、駅まで乗ってけと進めてきた。時間もあったし歩いて駅に向かうつもりだったが、オヤジは「駅まで3kmもあるぞ」と頑張る。「1kmしかねぇだろ」と言うと、オヤジは「ここのホテルの奴がそう言ったのか?どこで調べたんだ?」と聞き返してきた。もしかするとホテルが客に「駅まで遠い」と告げ、それを信じた客がホテル前のリクシャーを利用するというシステムなのかもしれない。そうだったのかと、力なく笑いがこぼれてしまう。生活がかかっているオヤジを横目に、僕は駅への道を進んだ。背中から聞こえていた「マリファナ!チープホテル!」の声も、しばらくすると止んだ。

マイソールの夜、ライトアップされた王宮

マイソール宮殿
18時を過ぎて宿を出た。11月なのに、マイソールはまだ陽が高い。ライトアップが少し心配になっていた。

昼と違って王宮の北門には人が集まっていたものの、どうやら中には入れない様子。と、ここで昼に出会った兄ちゃんに再び出くわした。インド人は遠くから獲物を見つける技量に長けている。兄ちゃんからは、20ルピーで王宮東門までリクシャーで連れてってやるとの言葉を頂く。わずか500mほどを20ルピーと主張する神経も並じゃないが、普通に王宮南門まで歩くと1kmはかかって面倒だから、20ルピーで手を打つことしてリクシャー乗り場まで歩く。すると兄ちゃんはリクシャーを前にして、おもむろに後ろの座席に乗り出した。これは今までに見たことがないパターン。一体何が出てくるものかと様子をうかがっていると、兄ちゃんは「運転手がいないからオマエが運転しろ」と言う。アホか...。面倒になる可能性があり過ぎるほど考えられるので、丁重に断ってその場を辞した。

夜の王宮には昼以上の熱気があった。そこに居たのは、夜を楽しもうと詰めかけた大勢のインド人と、この日に合わせて世界中から集まってきた観光客たち。思わず気持ちが盛り上がってくるのを感じていたら、突然、王宮をバックに写真を撮りたがっているインド人の群れから罵声が飛んできた。周りには山と人がいるにもかかわらず、何故だか僕にだけ邪魔だと言ってくる。鬱陶しいから無視していると、今度は「チャイナ!チャイナ!」とアホのように喚き出した。人種だか身なりだかでターゲットを選別し、声の大きさで相手を威圧し、衆を頼んで道理を押し通そうとする未開の極み、トリプル役満。日本でもよくある光景だから笑うに笑えない。ライトアップを待つ間は、そんな腹立たしいインド人たちと僕の肌をつけ狙う蚊に囲まれていた。

19時近くになると夜の帳が下りてきて、良い具合にインド人を隠してくれるから、騒々しさも多少和らぐ。時間は19時。それまで点いていた王宮の照明がすべて消えた。集まった人たちが固唾を飲むのがハッキリと分かる。暗闇でライトアップを待つ10秒ほどの時間がとても長い。そしてパッと電飾が点いたときは、その場にいたすべての人たちから歓声が上がる。一日の疲れや不快な思いなどが、全てウソのように吹き飛ばされてしまった。わざわざ日本から来て、単なる電飾を、ただボーっと眺めるだけ。でも、それで良かった。
ライトアップされたマイソール宮殿

しばらくすると音楽が流れてきた。事前の情報では軍隊による演奏があるということで、巷のブログや旅先で出会った旅行者の中にはディズニーのようだと言う人もいたが、実際に僕が聴いたのはインド音楽だった。いまにも消え入りそうな寂しげな旋律。音楽隊の勇ましい行進曲だったり、クラシック調のオーケストラでも聴けるものかと思っていたが、やっぱり最後はインドだった。ま、興醒めしたのは確かだけど、インドらしくて悪いとは思えない。

そのあと欧米人旅行者の間で有名なParklaneHotelのレストランへ行き、チキンローストとミネストローネを食べる。トマトソースと一緒に食べるチキンローストはビールによく合ったが、ミネストローネと言って出された料理は、最後までケチャップとしか思えなかった。いや、いまでもケチャップだったと思ってる。

神々しいマイソール宮殿、騒々しいインド人

マイソール宮殿
目を覚ますと昼だった。虫が出ないベッドはこんなにも安心して眠れるものかと頷いてしまう。部屋も広いしホットシャワーも出る。部屋へ案内されるときに、他のインド人客が泊まっている部屋を覗いてみたところ、自分の部屋よりも狭かった。自分の部屋が650ルピーにしては上出来過ぎることもあって、「さては割り当てたな..」などと考えを巡らせつつも、悪い気はしない。そういえば2階のこの角部屋へ案内されたとき、案内した兄ちゃんがチップを要求する仕草をみせたが、無視して追い出したことを思い出す。たかだか2階までの階段を上がり、荷物を持つでもなく、なぜか部屋に土足で入り込んでチップを要求できる理由があれば、こっちが教えてもらいたい。

ホテルの外は暑かった。朝夕の冷え込みに比べて、昼の陽射しは強い。マイソールが高原にあるということを実感する。とりあえず王宮へ向かうことにした。まず最寄りの北門へ向かったところ、この時間帯には北門は開いていなかった。"親切な"兄ちゃんが僕と歩調を合わせながら、しきりに「今日は休日だ」と言う。そう、このマイソール宮殿がライトアップされるのは日曜日だけ。兄ちゃんの話を適当に流しつつ、「俺は君と友達になりたいんだ」だとか「良い店を知ってるから連れて行ってやるよ」とか言い出すまえに、南門へ向けて足早に歩く。そのうち兄ちゃんは消えていった。

マイソール宮殿はマイソールジャンクション駅の東南にあって、この王宮を中心とした一帯がマイソールの中心になっている。IT産業都市としての雰囲気はなく、ベンガルールのような華やかさとは無縁。そこはインドの田舎都市というほうがふさわしく、建設中のショッピングセンターが都市の躍動感を匂わす程度だった。唯一見つけたKFCの看板も、近寄ってみるとまだ営業していない。ファストフードの出店状況は、インドの都市を計るときの指標になる。ここマイソールはベンガルールやチェンナイに比べて、どうやら時間が緩やかに流れている。

王宮の南口にはチケットカウンターがあった。チケットカウンターの前には群衆が詰めかけている。こんな光景は歴史の教科書でみた銀行の取り付け騒ぎくらいしか思い浮かばない。日曜日ということで、ただでさえヒマなインド人が押し掛けるのは目に見えているだろうに、チケットカウンターはひとつしか開いていない。奴らは行列を守らないから、こちらも容赦なく割り込むこと5分ほど、ようやく入場券を手に入れた。入場料は外国人が200ルピーでインド人は20ルピー。王宮の内部へカメラを持ち込むことはできない。足元を見られて微妙に吹っかけられてはいる感はあるものの、インドではこの程度はボッタクリとは言わないし、なぜか許せてしまう不思議。
マイソール王宮の南門

このマイソール宮殿は見る価値があった。入口で解説オーディオをレンタルすることができ、気付いたら1時間以上も見てしまっていた。解説の途中に妙な曲が流れていたのを覚えている。マイソールの街とチャームンディーは切っても切れない結びつきがあるということは教えてもらったのだが、それよりも哀愁を誘う「チャァァムンディィィィィ」という歌声のほうにインパクトがあった。そしてこの解説オーディオ、レンタルするときにパスポートか2000ルピーか20ユーロをデポジットすることになっている。3つの質草が同価値だとみなされていることが少し可笑しくて、2000ルピー払って秀逸なガイドを手に入れようかと、最後の最後まで本気で迷っていた。

王宮内部をしっかり見ようとしたら、少なくとも1時間半はかかるはずだ。そして夜のライトアップも含めたら一日がかりになると思う。郊外の観光スポットも訪れようとすると、別にスケジュールを割いておくほうがいい。

11月、早朝のマイソール、そして宿

マイソールのデヴァラージマーケットにて花を売る人々
旅も終わりに近づいていた。前日の夜にチェンナイを出発した夜行列車は、定刻よりも20分遅れでマイソールに着いた。11月、マイソールの朝は少し寒い。AC3(エアコン3段ベッド)の車内も凍るような寒さで、インド人ですら鼻をかんでいた。ここまでして人間を冷凍する意味は絶対にないはずだが、温度を調節する機能が備わっていないってことも、インドなら十分ありうる。

マイソールまで足を延ばした理由は、ライトアップされたマイソール宮殿を見るためだ。旅のはじめにはマイソールのIT産業がどんなものか垣間見たいってのもあったが、今となっては興味が沸いてこない。それまでの旅で、喧伝されているインド経済ってのは、旅行者から見える部分だけでも、十分に幻滅できるものだってことに気づいていた。とにかく街の風景なんて二の次で、禍々しい電飾につながれた王宮を見たいとだけ思っていた。なんだか、この街に来たのはヤケクソだったのかもしれない。

そんなこんなで駅から歩き出すも、1kmほど歩いたところで、駅の西側へ歩いてきたことに気付く。まったく人がいないし、大きな道の両側は気持ちのいい雑木林になっていて、どう考えても市街地へ向かっているようには思えない。足の裏とヒザ裏に張りを感じながら、来た道を歩いて戻る。早朝だから車もまばらだ。人が多いインドで人に出会わずに自然のなかを歩くなんて、なんだかとても貴重な時間が流れていく。

マイソールの街は綺麗だという話をどこかで聞いた記憶がある。2001年だかの調査ではチャンディーガルについで2位だっとか、確かそういった話だったはずだが、どこで聞いた話なのかは覚えていない。道に牛糞はたくさん落ちているものの、ハエがほとんどいない。ゴミも確かに少ない。個人的にはフォートコチのほうが綺麗だったと感じるが、それでもマイソールだって悪くはない。

道端には花の環を売る人たちが大勢いる。場所はデヴァラージマーケットの横あたり。花の市場でも建っているのだろうか。いったいこの花の環を何に使うのかという疑問を抱えながら、ただ歩く。笛売りのオヤジがピーヒャララと鳴らしつつ売り込みにくる。早朝に笛を買わせて、僕に何をさせようとしているのか疑問を抱えながら、ひたすら歩く。花の売り子と客が揉めている。そして彼らを取り囲むようにインド人が群れている。まったく、いつものインドの光景だ。
マイソールの街角、群がる人々

マイソールへの旅では、疲れを減らすために、移動はAC3を使い、宿もAgodaで前もって予約しておいた。何はともあれ、まずは宿に向かう。宿は観光客向けホテルが集まる一角にあった。チェックインしたい旨を伝えると、フロントのインド人が面倒くさそうに、そして鈍重な動きで台帳を調べ始めた。このときの自分は、図らずも朝から歩くことになった疲れに加えて、緩そうな服に無精ヒゲと蓬髪という姿。フロントのインド人からは、人を値踏みするような視線を頂戴する。Agodaで予約していることを伝えると、奥からワイシャツを着た兄ちゃんが出てきた。このホテル「Palace Plaza」では、どうやら客の見た目で対応が違うらしい。

インドのホテルのフロントには、どう見ても従業員に見えない奴輩がたむろしていることがあって、ここのホテルでもそうだった。もしかしたら経営者か、あるいはその関係者なのかもしれない。ホテルの清掃係や配膳係は、皆が一様に質素な服を着ているし、おしなべて客への対応が良い。一方でフロントにいる奴輩は、良い身なりをしているにもかかわらず横柄な態度であることが共通している。

なんだかホテルに漂う彼我の「異質さ」を感じながらも、考えることを止めてベッドに倒れこんだ。旅の疲れが五感の働きを拒否している。日本へ帰ろうと思った。

2014年1月20日月曜日

ロイヤルガーデニアにある居酒屋EDO vol.2

居酒屋EDOに入ってみると、食事をしていたのは日本人とインド人がちょうど半分ずつぐらいだった。インド人が半分近くもいたということは富裕層の多さを示していたし、また和食が受け入れられているという発見もあった。フィリピン人のシェフが言うには、普段からもインド人は多いとのこと。日本人の客層が年配のビジネスマン中心であるのに対して、インド人はビジネスマンだけでなく家族連れも見かける。プライベートで和食を食べるほどの人たちが、ここベンガルールには確かに存在する。カウンター近くのテーブルでは、20代と思しき少しくたびれた格好の日本人男と年上の女性という、色々と妄想が膨らんでしまうカップルもいた。女性が駐在らしいことは何となく読めたが、男のほうはいったい何者で、そして何故ベンガルールくんだりで一緒に飯を食うことになったのか、そんな経緯をボーっと考えてみたりする。

そうこうしているうちに、本日のつき出しが運ばれてきた。つき出しの内訳は、赤くてプチプチしたイクラの小さい奴とカニカマをマヨネーズで和えたものと、じゅんさいと塩辛。じゅんさいがインドで摂れたものか、日本からの空輸なのかは聞けなかった。塩辛は確実に日本かタイあたりからの空輸じゃないかと思う。どれも旨くない。

居酒屋EDOのディナーは、3200ルピーのコース「京都」と5000ルピーのコース「江戸」の二つ。ランチだと1450ルピーと1800ルピーの2種類あるという。もちろんサイドメニューも豊富で単品オーダーも可能。そして今晩は、せっかくなので3200ルピーのコース「京都」を味わうことにした。

コース料理の最初は刺身か茶碗蒸しのどちらかだった。よく覚えてないから茶碗蒸としておく。この茶碗蒸しは、はっきり言って不味い。固まっていないから、茶碗蒸しといえるものかすら疑問。面白いのは具材が豊富なことで、白身の魚と銀杏、ホウレンソウ、エビ、エリンギか何かを短冊状に切ったものが入っている。量を食べるインド人には、細やかさよりもバラエティを見せる必要があるのだろうか。

次にネギマ串が出てきた。さすがにバーベキューの国だけあって、焼き鳥は普通に旨い。インドということを差し引いても、十分食える。個人的には塩が好きだから物足りなさも感じるが、唐辛子が効いていて、ともかく旨い。タレがバーベキューソースじゃなければ日本の串とも遜色ない。
バンガロールの居酒屋EDOの焼き鳥

焼き鳥が出てきたところでビールも注文する。居酒屋EDOのキングフィッシャーは瓶で出てきた。これ普通なら70ルピーくらいのシロモノだが、値段を確認せずにオーダーしたので会計が楽しみではある。ちなみにゴアとポンディシェリーだと、ビールがやたらと安かった。

つづけて刺身。刺身はどれも大ぶりの切り身で、まぐろ・白身・ホタテ・サーモンの4つ。もう旨すぎて、言葉にならない。ターリーやチョウメンで苛め抜いてきた五臓六腑に、醤油で食べる繊細な味つけが染み渡る。魚の切り身は、目の前で調理するシェフが真空パックから取り出していたのを見たので、空輸確定。
バンガロールの居酒屋EDOの刺身

さらに天ぷらと寿司が運ばれてきた。天ぷらも完全に再現されている。断じて和食もどきじゃない。日本で食べるそれと変わりない。寿司はシャリが多めだが、ネタも大き目。こちらもハズレなく旨い。
バンガロールの居酒屋EDOの寿司

気がついたらビールもなくなっている。とうに胃袋は限界に近づきつつあるものの、ここで追加のビールと餃子を頼むことにした。出てきた餃子は日本のパリッとした餃子ではなく水餃子風。なのに皮がモチモチしているわけではなく、具もジューシーなわけではない。少し水っぽさも感じられたが、とはいっても餃子の体はなしている。インドでこれが食えるなら、値段次第では十分アリでしょう。でも冷凍食品なんだろうな...。
居酒屋EDOの餃子

さらにご飯ものが選べるということで、選択肢のもう一品が何だったかは今もって思い出せないが、とにかくワカメうどんを食べることにした。うどんは乾麺の食感で、日本だったらコシがなくて食えたもんじゃないだろうが、このときは味わうように食った。スープは醤油ダシで、昆布の味はしなかったが、カツオの風味が若干あったかもしれない。
居酒屋EDOのワカメうどん

最後にデザートのケーキが出てきた。インドのスイーツもたびたび口にしてきたが、ここのケーキは旨かった。もちろんインド流デザートの例に洩れず甘ったるくて、繊細さや重厚さは感じられないのだが、ストレートに訴えかけるものがあって悪くない。というか旨い。そして一緒に出てきた緑茶は、ほとんどお湯だった。
バンガロールのホテル「ロイヤルガーデニア」で食べるデザート

支払いは3200ルピーのコース料理にビール3本と餃子がついて、合計4770ルピー。さて、貧乏なバックパッカーの旅での4770ルピーを高いとみるか安いとみるか。

ロイヤルガーデニアにある居酒屋EDO vol.1

バンガロールのロイヤルガーデニアにある居酒屋EDO
ベンガルールを訪れた理由はたくさんあるが、旅の途中でもうひとつ大きな目的が加わった。それが日本食。この街には日本食を食べられる場所がいくつかある。とくに有名なのは「播磨」レストラン。ほかにも、駐在の方のブログやガイドブックによれば、合計で4軒ほどあるらしい。そんな中から僕が今晩のディナー選んだのは、5つ星ホテルのロイヤルガーデニアにある、その名も「居酒屋EDO」。ベンガルールを歩き回ったこの日は、ハードロックカフェでランチを食べた直後だったにもかかわらず、すでに夕食が待ち遠しかった。

シャワーを浴びたあとに髭を整えて、バックパックの底に入れておいた一張羅を引っ張り出した。もちろん一張羅とは言っても、いま身に着けている服と同じ店で買ったものだから、それほど大きな違いじゃない。見た目こそアラベスク模様の丁寧な図柄がプリントされているものの、触ってみればペラペラだ。とはいえホテルのエントランスぐらいは通り抜けられるだろう。

ロイヤルガーデニアはさすがの5つ星にふさわしく、内も外もエクセレント。スターウッド系列のホテルと比べても全く遜色ない。UBシティ同様に、エントランスでボディチェックを受けてから中へ入る。ここのスタッフはホスピタリティという言葉を完全に理解しているようで、ボディチェックの際にも笑みを絶やさず、心配りを忘れてはいなかった。

ホテルの中を闊歩するインド人は、まぁ街では絶対に見かけることがない階層の人たちばかり。まず女性の身に着けているサリーが格別に美しい。生地の良さが見て分かる。全体に艶があって、歩くと身体のラインに吸い付いているかのように舞っている。本当に「舞う」としか表現できない美しさだった。そんな銀幕から出てきたかのような人たちは、UBシティでも見たことがない。

居酒屋EDOはホテル1Fの奥まった場所にあって、天井が高く、店内は広い。一人ということでカウンターを所望し、シェフの目の前に陣取った。情報では日本人シェフがいるということだったが、この晩に腕を振るっていた板前はフィリピン人で、彼を補佐するようにもう一人ネパール人のシェフがいた。フィリピン人のシェフは、日本食だけに21年間もたずさわってきたと言う。ベンガルールのロイヤルガーデニアに2年ほど働いているといい、その前はドバイやアブダビ、そしてヨーロッパでも仕事をしていたとのこと。あのシェラトンでも修行していたそうだ。僕の孤独を察するかのようにはじまった二人のシェフとの会話が弾む。着ていた一張羅を見て「問題ない」と言ってくれたことで、それまでの緊張が一気に解けていくのが感じられた。
居酒屋EDOのカウンターと、二人のシェフ

バンクオブインディアのATMにて

夕食のためにロイヤルガーデニアへ向かう途中、金を引き出すことにした。泊まっているホテルからセントマークス通りを南へ下っていくとバンクオブインディア(Bank Of India)がある。インドに着いたころは、中央銀行がATMを稼働させているのかと疑問に思っていたが、あとでネットで調べたら違うということだったので、なぜだかとても安心した記憶がある。ATMに着いて、今晩の夕食代と旅の資金を合わせて1万ルピーほど引き出すことにしたところ、ふとATMの画面にナゾの表記があることに気づいた。

このバンクオブインディアのATMでは、金額指定の画面表示で、右から二つ目のゼロの左横に小数点がついている。これが1ルピー以下の指定のことを表したものなのか、あるいは違う意味を持っているのか、ちょっとよく分からない。インドにはルピーの補助通貨としてはパイサが用意されているものの、パイサを見かけることなどめったにない。インフレが続くインドではなおさらだ。それに硬貨が出てくるATMというのも想像し難いわけで、せめて紙幣がある10ルピー以上の金額指定ならまだしも、小数点があるということはパイサまで指定できるということなのか?

よくよく考えているうちに、もっと恐ろしいことにも気付いた。この小数点がパイサのことを表していなかったとしたら、1万ルピーのつもりで引き出した場合に、小数点以下の2桁も加わって、もれなく100万ルピー引き出してしまうことになる。この旅で僕が使っていたのはVISAカードのキャッシング。100万ルピー(当時のレートで約150万円)も借りてしまったら金利だけでも恐ろしい。加えてインドルピーは国外への持ち出しが禁じられているから、出国前に大量のルピーを両替することになるが、チェンナイ空港のぼったくりレートで両替することを考えただけで食欲が失せていく。心を落ち着かせて、とりあえず近くにあったフェデラルバンクのATMで引き出せるかやってみた。するとフェデラルバンクのATMでは、VISAキャッシングはおろか新生銀行カードも使えないという有様...。

こうなったら三井住友カードの不正引き出しチェック機能を信じて、引き出してみるしかない。まず小数点以下の「.10」と入力してみると、「無効な入力」と表示された。一応ATMのチェック機能は働いているようで少し安心する。次に「1.00」と入力してみる。すると今度も「100ルピー以下は無効」と表示された。どうやら小数点以下はパイサを表していたようだ。ちなみに「101.00」と入力してみたら、これも「100ルピー以下は無効」となって引き出せなかった。

結局1万ルピーを引き出したのだが、なぜあのATMに、引き出すことのできない100ルピー以下の表示が可能になっていたのか、いまだに分からない。もしかしたらATMが作られた当初はパイサでも引き出せたのかもしれない。そしてもしそうだったとすると、このベンガルールでパイサが必要とされていたのは一体どれほど昔のことだったのだろうかと、煌びやかなUBシティの前を通りながら思っていた。

ベンガルールのハードロックカフェ

バンガロールのハードロックカフェにて、チキンローストバーガー
腹を空かせて飛び込んだのは、インドで初めてお目にかかったハードロックカフェ。朝から歩きまわって気付けば飯を食ってない。シティマーケットからハードロックカフェのあるMGロードまで歩いてきたことになる。重い扉の前にセキュリティの兄さん方がいて、野良犬のような僕を店内へとうながす。店内にはロックが流れ、チャドスミスの帽子やデイヴクロールのギターが置いてあり、調度品にはインドらしさが感じられない。ここが六本木や横浜と言われても納得できる。店員が話すのはインド訛りがないアメリカ英語で、彼らの接客態度は自信に満ちていた。

メニューはパコダ(PAKODA)やパニール(PANEER)などのインド料理もあるが、バーガーや肉も準備されていて、オーソドックスなハードロックカフェだった。しかし、メニューに書かれている金額が異常なほど高い。もっとも安いカクテルはモヒートで、2012年11月当時、それが1杯340ルピーもする。その上には1杯480ルピーのものもあって、1ルピー=1.5円という円高の恩恵がまったくない。ドリンクに比べたらフードにはお手頃感があるものの、マクドナルドやKFCといったファストフードよりも相当高い。実際は食事代金に対して10%のサービスチャージが加わり、さらに別で税金も加算されることから、メニューにある金額+20%は覚悟しないといけないようだ。おとなしくサービスランチのチキンローストバーガーとスプライトを頼むことにした。

しばらく待って出てきたのは、タンドリーチキンのような食べ応えのあるバーガー。インドでは本当にチキンが旨い。牛、豚、魚、それに類するものは中々食べることができないが、チキンだけはハズレが少なくて旨い。高い金を払って、どうせ不味いパスタもどきを注文するくらいなら、おとなしくタンドリーチキンを食っておけばいい。そしてどんなときもオチをつけてくれるのがインドであって、ハードロックカフェとて例外ではない。出てきたスプライトは、冷やそうとする努力が微塵も感じられない温さだった。支払いは480ルピーで、ちょうど500ルピーしか持っていなかったから500ルピー支払ったら、当然のように釣りは戻ってこない。チップ文化だけは欧米を真似するあたりがインド。まさにインド。思わずツッコミいれたくなる。285ルピーのチキンローストバーガーに85ルピーの温いスプライトで、支払いが合計500ルピーになるんだから、この金の使わせ方には感心させられる。
バンガロールのハードロックカフェ


ハードロックカフェで遅いランチを食べながら、僕は考えていた。

旅のはじめには自由なヒッピーもどきのスタイルを満喫していたものだが、旅が進むにつれて、この見た目で損をする場面が多くなってきている。いまの自分はと言えば、ニューデリーのパハールガンジで買った木綿の上下に、ガラクタ同然のアクセサリーを身に着け、髪はボサボサで髭は伸び放題。これでまともな対応をしようという人間を期待するほうがオカシイ。ハードロックカフェに入店してからも、自分が軽んじられている明らかな対応を幾つか感じていたし、こんな自分の見た目こそが原因だったのではないかとも思えてきた。そろそろこのスタイルを捨てるときが来たのかもしれない。

宿へ帰る道すがら、僕は今晩のディナーを5つ星ホテルでいただくことに決めた。もちろん精一杯の服装と一緒に。

喧騒のベンガルールを歩く vol.2

シティモール in バンガロール
僕はシティマーケットからヴィダーナソウダ(ヴィダーナサウダ)に向かって歩いていた。しかし警官が教えてくれたその道の先にはヴィダーナソウダはなく、代わりにシティモールがあった。

これまでの旅では、道往くインド人の言うことが全くアテにならないと感じていた一方で、警官や軍人からは正しい情報を得ることができていた。とは言え、目の前にあるのはシティモール。これもインドかと独り言ちながら、しかしシティモールとシティマーケットの位置関係から、ヴィダーナソウダの場所が割り出せたので、悪いなかにも光はある。再び北へ向かって歩き出していたら、あの景色が眼にはいってきた。
バンガロールのUBシティ

ベンガルールといえばインド最先端のメトロポリスとして、それこそ発展の象徴として喧伝されているはずだ。そして自分にとっても、ベンガルールを訪れることはインド旅での大きな目的だった。ひとりのプログラマーとしてインドのIT事情を垣間見たかったというのもあるし、なによりステレオタイプな古くて汚いインドとは真逆のものを見たかったからだ。僕はアジアを途上国として見たくない。アジアは発展の可能性に満ちたダイナミックなフロンティアだ。視界の景色は、まるで僕の想いを汲み取るかのように、そこにあった。Wikipediaで見たことのある写真、あの構図のUBシティ。

ヴィダーナソウダへの計画をさっさと放り出して、僕はUBシティまで歩いてきた。ここは数日前に来ていたから中には入らず、周辺を歩いてまわる。近くに州立博物館があった。朱色のヨーロッパ風の建物には風格が見てとれる。ただこのとき僕は、近くにあったマクドナルドで飯を食うかどうかで頭がいっぱいだった。そういえば朝起きてから何も食ってない。
カルナータカ州立博物館

インドのマクドナルドといえば、旅のはじめにニューデリーのコンノートプレイスで食って以来、まったく口にしてなかった。それまでのインド旅で唯一お腹を壊しそうになったのが、ここマクドナルドで食事したときだったからだ。いま思い返すとストレスや水の違いなどが原因だったような気もするし、あるいは偶然だったのかもしれない。ともかく僕は州立博物館の近くにあるマクドナルドで飯を食うか迷った挙句、せっかくだから数日前に見かけた、近くのハードロックカフェで飯を食うことに決めた。

喧騒のベンガルールを歩く vol.1

バンガロールのシティマーケット
シティマーケットの汚さから早く逃れたかったので、ともかく次にヴィダーナサウダへ向かうことにした。少しでもキレイな場所に身を置きたかった。が、ここからが長かった。

まずヴィダーナサウダ行きのバスを探すも、全然見当たらない。もちろん案内板なんてものは存在しないから、道行く人や車掌に手当たり次第に声をかけて、集められた情報を絞り込んでいくことになる。真贋入り混じるというより、8割の適当な情報の中から2割の真実を探す作業とも言えそうだ。毎度の試みながら、この日のアタリは良くない。尋ねる人たちがみな違うことを言うもんだから、どれが正しいのやらさっぱり分からない。シティマーケットのバスターミナルは広いので、彼らの情報をもとに右往左往することに。

付け加えておくとバスターミナルといっても単なる広場であって、どのバスが運行するかなんてのはバスが発車しはじめないと全く分からない。動かないバスに乗って座っていても、そのバスが出発する保証なんてないからだ。人がたくさん座っているバスに乗り込んで行先を聞いてみたときに、ついでに「このバスはいつ出発するのか?」とも尋ねてみた。すると誰もが首をかしげて「分からない」という。ここでは時間通りに事を進めたいという観念は捨て去るほうが良い。動き始めるバスを捕まえては、乗客と車掌に問いただす作業を20分ほど続けたのちに、この日はバスに乗ることを諦めた。後にも先にも、バスターミナルに行ってからバスに乗れなかったのは、このシティマーケットだけだったと思う。

それからヴィダーナソウダまで歩く覚悟を決め、今度はヴィダーナソウダまでの道を聞いて回ることにした。ところが周りにいたのは、「この道を行けばシティマーケットだ」としか答えない兄ちゃんや、「他で聞け」としか言わない店のオヤジばかり。とりあえず当たりをつけて歩いてみるも、そこに見たのは放牧されている牛だった。この牛の放牧場は道路の真ん中にあって、その上を高架が走っている。空きスペースの上手い利用法だとは思うけれども、もっと別の場所もあったろうにとも思う。
バンガロールのシティマーケットにいた牛

そして来た道が違っていたことに気づいた僕は、シティマーケットへ戻り、今度は警官に聞いてみた。するとこの女性警官、まだ僕が歩いていない方角を自信たっぷりに指さす。今度こそはと思って歩き始めた。

道すがら小学生の集団から写真をせがまれた。実はインド旅の途中から、カメラで撮ることが極端に少なくなっていた。毎日、目の前の出来事に手一杯で、撮影のことを考える余裕なんて全くない。だからこのときは、たったいま自分がカメラをもっていることに気づいたかのように驚いてしまった。

どういった気持ちから、小学生の彼らが珍妙なアジア人に興味を持ったのかは分からない。あるいは彼らの目にとまったのは、高そうなカメラだったかもしれない。とにかく彼らは僕の写真におさまって、撮った写真を確認するでもなく、風のように走り去っていった。

2014年1月19日日曜日

シティマーケットで見た、ふたつの衝撃

バンガロールのシティマーケット
ティプ=スルターン宮殿を見たあと、近くのシティマーケットまで歩くことにした。そこからバスが出ているはずだし、MGロードのさらに北のホテルまで歩いては帰れない。ところがシティマーケットを視界にとらえるあたりから、行く手に今までの人生で見たことがないような汚さの大気が見えて、進む足取りが重くなってくる。空気が汚いといえばコルカタだと思っていたが、いままで見てきたインドの都市のなかで、ここベンガルールのシティマーケットはもっとも大気が汚い場所のひとつだと言える。ゴミが散乱していたり臭気がひどいってのは良くある光景だが、ここでは排気ガスで30メートル前の視界が、明らかに灰色になっている。さすがに笑った。UBシティを知っているだけに、まさか同じ都市とは思えない。
バンガロールのシティマーケット

これと同じような風景は、実はもうひとつ記憶がある。あのナーガールコイルの路上だ。しかしナーガールコイルは、人口が多くてもベンガルールとは都市の格が違って、あちらは州都ですらない。一方で、ベンガルールはカルナータカの州都だし、インドが誇る世界都市のはずだ。にもかかわらずシティマーケットの汚さは、とてもじゃないが最先端の街というより世紀末と言ったほうがふさわしい。ここではインド人がマスクをしている姿を久しぶりに見た。

事前に調べていたとおり、シティマーケットにはバスターミナルがあった。そしてここで、もうひとつの興味深い光景を見ることに。
バンガロールのシティマーケット=バスターミナル

運行を終えたバスから車掌が降りてくると、彼らは管理ブースへと向かう。管理ブースで運行状況の確認と報告を行うと、次に車掌自身がもっている乗車切符の通し番号を申告するのだ。これは察するに、販売数と売上をマッチさせるための仕組みだろう。ほかの都市で同じようなバス切符の販売管理方法を取り入れているところは、少なくとも自分の目では確認できなかった。僕が見る限り、おそらくゴアの販売管理方法はベンガルールとは違うし、コーチンの販売管理方法とも違うだろう。それらと比べたときに、車掌が不正を働きにくいという点ではベンガルールの販売管理方法が進んでいることは疑いようがないし、わずかながら先進性が感じられる。

しかし同時に、もうひとつの事実も思い返される。イスコンテンプルへのバスに乗ったとき、車掌は20ルピーの乗車切符を僕に渡すのに、10ルピーと4ルピーの2枚を利用したことだ。つまり切符の販売枚数で不正ができないから、彼らは売上を少なく申告することで利ザヤを稼いでるのかもしれない。なんといっても、ベンガルールではいったん販売されたバスの乗車切符は回収されない!から、バス会社(ベンガルール市)が一体どれだけの乗客があったかを、真に把握できないからだ。

ティプ=スルターン宮殿の100ルピー

バンガロールのティプ=スルターン宮殿
イスコンテンプルからの帰り、ようやく今日はじめての観光地、ティプ=スルターン宮殿へ。入場料は100ルピー。せっかくのインドだから惜しまずに払って入場。手が行き届いた素晴らしいガーデニングを眺めようとしたその矢先、「グッドアフタヌーン、サー」とお声がかかる。まだ入って5秒も経ってないのに、狩人たちは日本からの獲物を見逃してはくれなかった。

どうせ勝手ガイドの類にちがいないので「ガイドいらねぇよ」と言うと、「なぜガイドいらないんだ?」と聞き返される。

...やっぱりガイドでしたか。

これがニューデリーのパハールガンジとかだと「僕は単に君と友達になりたいだけなんだ」などと余計なお節介を言い始めるからクソ鬱陶しいわけだが、こういう悪に染まりきってない人が頑張っているのは憎めない。南インド万歳。
バンガロールのティプ=スルターン宮殿

しかしこのティプ=スルターン宮殿だが、ティプ=スルターンの偉大な業績に比べて、宮殿というには物足りない。古跡や遺蹟は重厚で壮麗なものが良いとは思わないが、宮殿というから期待してたので実物を見たら残念ではあった。でも庭園は気持ちよいし、木で作られているというところなど、カメラ好きには良いスポットだと言える。時間が余っている旅人としては、何やら感じ入るものがあった。

100ルピーかぁ...
バンガロールのティプ=スルターン宮殿

イスコンテンプルから帰ってみた

インドのガソリンスタンド
結局タイムオーバーとなって閉園になり、見学することができなかったイスコンテンプル。職員の昼飯休憩が3時間オーバーってところにも、何故だか無性に腹が立っていた。周囲には次の開園時間の16時まで、時間をつぶす場所も見当たらない。仕方なくセントラル方面へ帰ることに。

イスコンテンプルまで来るのに苦労したから覚悟はしていたものの、シティマーケット行きのバスが全然来ない。ベンガルールには巨大な市域をカバーするように主要なバスターミナルが幾つかあって、シティマーケット=バスターミナルはそのうちのひとつ。あのティプ=スルターン宮殿から歩いていける場所にある。そのほかにベンガルール=シティジャンクション駅に隣接するケンペゴウダ=バスターミナルと、ラッセルマーケット近くのシヴァジナガル=バスターミナルなど、他にもいくつかある。そしてイスコンテンプルからシティマーケット行きのバスもケンペゴウダ行きのバスも、どうしても見つけることができなかった。運行中のバスに乗っている車掌は、なかなか人の質問にたいして口を割らない。おそらくケンペゴウダ行きのバスは、位置関係から予想すると運行していておかしくないのだが、もう諦めて、メーター料金プラス20ルピーで譲らないオートリクシャーを捕まえるのが精いっぱい。ほとほと疲れ切っていたのだが、結局はこれが当たりだった。

リクシャーの兄ちゃんとしては、どうやら長い距離を乗って欲しかったようで、そのためのプラス20ルピーだと言う。ベンガルールで一番大きなショッピングモールも行くつもりだったが、そういうことならと予定変更してティプ=スルターン宮殿へ向かうことに。そしてティプ=スルターン宮殿への道すがら、おもむろにリクシャーの兄ちゃんがLPG(液化石油ガス)の価格について話しはじめる。ベンガルールを走るオートリクシャーはLPGを利用するようで、ガソリンのものは見かけなかったし、インド人に聞いても、真偽はともかくLPGのみだと言っていた。そして、黒い車体のオートリクシャーは旧型で、1リットルあたり15kmから16km走るそうだ。一方、緑の車体の新型オートリクシャーは、1リットルあたり18kmから20km走るという。インド人の言うことだから話は3割くらい盛られているとしても、この数値からオートリクシャーを利用する際の原価が割り出せることが、とにかく有難い。話の終わりに兄ちゃんは、それまでの話にオチをつけるかのごとく、LPGスタンドの待ち列にリクシャーを寄せた。もちろんメーターは回したまま...。
インドのガソリンスタンドで給油中のオートリクシャー

道々にあるLPGスタンドの価格を見てみると、2012年11月時点では1リットルあたり50.56ルピー。この販売価格と燃費を照らせば、ベンガルールのオートリクシャーは、真面目に働くかぎり儲けることができそうだ。この日のイスコンテンプルからティプ=スルターン宮殿までは、途中給油の待ち時間10分くらいを入れても105ルピー。兄ちゃんは「20kmも距離があるから、it's very hard workingだ!」と言っていたものの、多く見積もっても6kmほどしかない。かりに燃費通りなら25ルピーもかからないということになる。そしてこの日の夜、独りの食事時間をまぎらわせるだけのネタが手に入ったことに感謝。

※オートリクシャーの燃費に関する詳細は、Piaggio社の公式を確認すれば分かる。インドで見たオートリクシャーの多くにPiaggio社のマークがあった。

イスコンテンプルへ行ってみた

バンガロール、ラッセルマーケットの風景
ベンガルールにいたとき、その日はスロットで体よく100ルピー巻き上げられたあと、ラッセルマーケットをぶらぶらしていた。しかしどれだけ歩きまわっても、結局いつものインドだったので、イスコンテンプルへ行こうと思い立つ。

イスコンテンプルは確かヒンドゥーの一派だか新興流派だかの寺院で、写真で見るかぎりでは結構イケてる。悲しいことにヒンドゥーっぽさは抑えられているようだが、そのときはヒンドゥー寺院も見飽きていたので、普通に見てみたかった。ということでラッセルマーケットからシヴァジナガルバスターミナルへ移動して、バスでイスコンテンプルへ向かうことに。
バンガロールのシヴァジナガル=バスターミナル

ところが肝心のバスがどれだか分からない。下車するバス停がマハラクシュミということだけは知っていたが、それを伝えたところで誰も知らない。イスコンテンプルと連呼しても、誰もが全く当を得ないことばかり口にする。とはいえ毎度の光景なので根気よく聞き込みを続ける。結局バスを降り立った車掌を捕まえてしつこく問いただしたら、79E番のバスで行けると吐いた。

バスを待つこと20分近く。いつまでたってもバスが来ない。いや正確に言うと79B番や79G番のバスは来ているが、79E番のバスだけ来ない。そのときまでにインド人を全く信用できなくなっていたので、また適当な嘘にハメられたかなと感じつつ、なぜだか自分でも分からない使命感だけでバスを探す。とにかく運行を終えて降りてきた車掌を捕まえては問いただすの繰り返し。そして結局乗りこんだバスは、79C番だった。

イスコンテンプルまで20ルピー。他の都市のバスと比べてやけに高い。ベンガルールは大都市のくせに道が悪くて、サスペンションのないバスでは、冗談抜きにしても身体が10cmは浮く。こんなバスで20ルピーってのも腹立たしい。車掌に金を渡すと、10ルピーと4ルピーの切符を2枚を切ったあとで、4ルピーの裏に6とボールペンで書き足した。6ルピーをくすねたのか、10ルピー切符の在庫が少なくなっていたのかは、今もってナゾ。
バンガロールのイスコンテンプル

どうにかイスコンテンプルへ着く。なにやら遠目からでも金がかかっていそうな建物が見えてくるではないか。それまでの経緯が期待に輪をかける。そして門まで行ってみると、ちょうど閉園と言われてしまった...。

ガイドブックを見て12時半までが開園ということは知っていたものの、次に開園するのが16時ということもあって、イスコンテンプルは結局諦めることに。イスコンテンプルの職員たちが、近所で買った昼飯をもって楽しそうに寺院のなかへ消えていくのを見ながら、足取り重く帰途についたはずだった...、が。(つづく)

ベンガルールでスロットをやってみた

インドの博打、バンガロールのスロット
インドの博打に興味があった。台湾は日本と同じでパチンコ屋があるが、インドでは正直聞いたことがなかった。本当は絶対に何かしらあるはずだが、僕のような観光客が歩く範囲では見たことがなかった。見たことがなかったが、それでも博打が無いはずはない、という確信だけはあった。

あるときベンガルールを歩いていたら、まぁ怪しげな店に遭遇した。場所はラッセルマーケットの一区画。ガラス窓にはスモークが貼ってあり、ただビデオゲームとだけ書いてある。それまでの旅でインド人の性格に染まってきていたこともあり、なんとなく確信をもって飛び込んでみた。

はたして、そこは換金ありのビデオゲーム屋だった。照明が落とされた店内では、ポーカーなどのカードゲームと、スロットにルーレットが組み合わさったゲームだけが置いてある。とりあえずやってみることに。一回100ルピー。もはや店員も、クレジットのことをルピーという風に呼んでいて、換金できることを隠すつもりはないらしい。

ポーカーがやりたかったけど、店員の兄ちゃんがスロットにルーレットが組み合わさったゲームしかダメだと言う。このやり口、どうみてもボッタくり仕様なのがバレバレなのに、何という上から目線。

100ルピー払うと店員がクレジットを入れた。クレジット10でスロットとルーレットが回り、ルーレットが停止した場所にある絵柄がスロット上に止まれば、絵柄と対応したクレジット分が当たりとして払い出される。もちろんダブルアップチャンスがあるのはお決まり。射幸心を煽ろうとしているのは分かるが、いまどき日本では小学生でも興奮しないだろう。面白味なんて全く感じられない。そして掛けた100ルピーは3分で消えた。

ちなみに、もう一人だけいたインド人の客にはポーカーを打たせていた。そっちの兄ちゃんは浮き沈みしながらも粘っている。

ひとつ気になるのは、そのお店があったのは確かにラッセルマーケットだったということだ。そしてラッセルマーケットにはムスリム系住民が多かったはず。もちろん牛が我が物顔で闊歩するあたりヒンドゥー教徒もいるだろうが、店員と客の彼らが一体どちらの宗教だったのかが気になる。ムスリムは戒律で博打が禁止されているはずだから、ヒンドゥー教徒だったのかな。あるいはベンガルールという街だからこその規律の緩さがあったのかもしれない。
バンガロールのラッセルマーケット

台湾で、レシートをよこさない店について思う

旅先でいつも気になることがある。それは、その国の納税について。

固い話はよく分からないし調べる能力もないから置いといて、とにかくレストランや商店がどうやって税金を納めているのかが知りたい。いや、どちらかと言えば、どれだけ脱税しているかが知りたい。

思うに、貧乏人が収める税金なんて国庫収入の割合でいえば数%だろう、と。これはクルーグマン先生がアメリカについて書いていた本に載ってたことだが、インドや台湾でも傾向としては同じはずだ。確かインドはリライアンスグループの法人税が、国庫収入の大きな割合を占めているなんて話も聞いたことがある。そうであるならば、大勢に影響しない貧乏人は自己申告で納税してもらって構わないだろうし、税務調査なんてのも形式的なんだろうなと推測してみる。

問題は台湾だ。台湾ではレシートが宝くじになっていることから、店はレシートを客に返却しなければならないというバイアスが、社会システムとして機能している。ところが店のほうも観光客が相手だとレシートを渡さない場合がある。もっともこれは客がレシートを受け取って扱いに困るだろうという店側の配慮!なのかもしれない。でも人を善意だけでは見られない僕には、なにか裏を考えてしまう。

日本人に人気の小籠包のお店、京鼎楼。一度ここで飯を食ったとき、レジを打たずに会計をしたことがあった。当然レシートは出てこない。おそらく後で一括でレジを回すんでしょうな。確かに、閉店前に一括でレジを打つ店もよく見かけるから。でも京鼎楼の印象が少し悪くなった。さして旨いとも思わなかったから、いまのところ二度目は行ってない。

直接はかかわらないが、店に並ぶ行列を撮りかけたら店員がキレたお店についても、繁盛っぷりを喧伝されちゃかなわんとか思ってるんじゃないのと邪推してみたり。

牛肉麵屋で店のオッサンからキレられた話

旅をしていると怒鳴られることがしばしばある。

あるときカメラ用品に不備が出たので、台北市内のカメラ街へ買いに出かけた。するとこのお店のご主人夫婦が日本語世代の方々で、僕に色々と話しかけてくれる。爺さんのほうは90歳近いということで同じ話をリピートするのだが、それも可愛げがあって悪い気はしない。そして婆さんが、近所の牛肉麵屋が旨いから絶対に行けと教えてくれた、どころか息子の嫁さんを呼んできて、僕を案内するように指示までしてくれる。このときは断る理由もないし、店へ行ってみることに。

店の前で親切な嫁さんと別れる。なにかあれば私に連絡しろとまで言ってくれて非常に有難い、とそのときは思ったのだが、よくよく振り返ってみると、その後の展開を暗示しているようで苦笑いしかない。

僕が行ったのは、地球の歩き方にも載っている、台北市内でも超がつく有名な牛肉麵屋。牛肉麵コンテストでも相当な評価を貰っているらしい。ともかく旨いことで有名だということを、怒られたあとにネットで知った。その牛肉麵屋は一見するとバラックのようだが、奥にしっかりとした食堂があって、その横に長い行列ができている。


と、そこにベビーカーを押した家族連れが来た。するとどこで見ていたのか、体格のいいオッサンが出てきて、強い口調で家族に何やら告げる。人に対する礼儀の欠如ってのは、僕が思うに責められるべきものではないのだが、とにかく市井の人々には全く期待するもんじゃない。もてなしてくれたら上々、ダメで元々くらいじゃないと、日本人の道徳観念からすれば耐え難い。オッサンから何やら申し渡された家族連れは、当惑しながらも列に並ぶ。つづいて僕も並ぶ。

このとき僕はカメラをもっていたから、お店の雰囲気でもと思って、行列越しにカメラを構える。そこへ本日一発目のカミナリが飛んできた。このとき行列の先にベビーカーの家族連れが居たから、自分に言われていると気付かなかったことが、なぜだか分からないオッサンの怒りに油を注いでしまったらしい。居並ぶ行列の客が引いていくのが分かるくらいの権幕で怒られた。それも最初は意味の分からない中国語で10秒ほど、そして僕を外国人だと気付いたあとに英語10秒ほど、計2回。謝るのにも必死で、さっさとカメラをしまいこむ。

彼が言うには、客のプライバシーを考えろとのこと。カメラの経験が浅い身としては、このプライバシーと写真の考え方は難しいけれども納得はできるので、これから食べる牛肉麵へと頭を切り替えてみる。

そして出てきた牛肉麵を食べるまえにパチリとやろうとしたら、本日二回目のカミナリ。フレームには他の客が入らないだろ畜生とか、ボカして撮るに決まってんだろボケェとか、そんな抗弁するつもりもないし、諦めて食うことに。味は普通。恨み節なく、いたって普通。というか食ってる最中も叩きだされるんじゃないかと思いながらビクビクしていたから、説明できるほど味わえなかった。

宿に帰ってからネットで検索すると、ほかのチャレンジャーたち撮った写真がたくさん出てくるんだが、そのなかに幾つか「すげぇ怒られた」みたいに付け加えられていて、思わずニヤリ。そして怒られる理由が各々で違うってのも面白い。

最近は会社でも偉くなってしまい怒られることがなくなったと感じているアナタ、是非この牛肉麵屋「老王記」へ、カメラ片手に行ってみてはどうでしょう?

台北で初めてネカフェに泊まった話 vol.2

つづき。

台北駅から南へ下ったところにあるマクドに向かいに清潔そうなネカフェを発見。日本のポパイだか何とかっていうネカフェと雰囲気が似てる。もちろん似てるのは雰囲気だけだが。

若い親切そうな兄ちゃんに利用したい旨を伝えると、「日本人か?」と聞いてくる。「そうだ」と答えると「IDを見せろ」と続けて言われる。ちょうどこのとき、僕は帰るつもりだった台北近郊の宿に、荷物と一緒にパスポートも置いていた。台北では日本の運転免許証でClubに入れたこともあったから、運転免許証を探してみるも、こちらも持っていない。悔やんでみても時すでに遅し。

すると兄ちゃんが「facebook見せろ」と言ってくる。facebookがIDになるなんて...と感慨深く思いながら、必死にiPhoneの画面にうつったfacebookのプロフィールを見せていると、今度は兄ちゃんが当惑しはじめた。僕は必死に「facebookだ」と言い、兄ちゃんは「facebook見せろ」と言う。ほんとに30秒くらい同じことを繰り返したあとに、やっと気付いた。

兄ちゃんは「passport見せろ」と言ってた...。自分の英語がダメなのは理解しているが、子音のfとbとpが聞き分けられないことに落胆。

案内されたパーティションは、大人一人が横になれるフラットなマットがあって、急場をしのぐには十分。同じく店員の姉ちゃんがブランケットも持ってきてくれて、問題なく始発まで休むことができたのだが。


夜中に人が話す声で目が覚める。どうやら警察の立ち入り検査らしい。そういえば利用カードに記入しているとき、夜中に警察の見回りがあると教えられていた。聞くともなしに耳に入ってくる会話からは、日本人だとかfacebookの単語のあとで、店員二人と警察官が笑っているのが聞こえてくる。翌朝にチェックアウトするのが、少し恥ずかしかった。

台北で初めてネカフェに泊まった話 vol.1

中華圏では旧正月明けの元宵節になると、お馴染みのランタン祭りが開催される。台湾でも全土各地で催されるが、とくに観光客に人気なのが平渓で開催されるランタン祭り。

だいたいランタン祭りといっても、その内容はと言えば、ランタンよりも屋台で食べることが主題なんじゃなかろうかとも思えてくる。ただ平渓のランタン祭りでは、しっかりとランタンを飛ばして、その瞬間だけは幻想的な気持ちにさせてくれる。

これは台湾の人たちも分かってるみたいで、この平渓ランタン祭りの日には、とにかく人が多い。いや、多過ぎる。祭りが終わって皆が一斉に帰宅し始めると、平渓から台北までの無料シャトルバスに乗るため、軽く1km以上は行列ができる。それを知らずにうっかり祭りを最後まで楽しもうものなら、台北に着いてから宿を探す余裕なんてない。

そもそも24時過ぎてから、髭面の汗臭いバックパッカーを泊めてくれるホテルなんてない。どこも「full」の一言で門前払い。

どうしようもないから、いつもなら考えもしないマクドナルドか、行ったことはないけどネットカフェのどちらかで迷って、結局ネカフェの門を叩くことにした。